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東京地方裁判所 平成5年(ワ)16816号 判決

甲事件原告(同事件反訴被告)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士兼乙事件被告

五十嵐二葉

甲事件被告(同事件反訴原告)・乙事件原告

乙山二郎

右訴訟代理人弁護士

鈴木裕文

主文

一  甲事件被告(同事件反訴原告)は、甲事件原告(同事件反訴被告)に対し、金一五〇万円及びこれに対する平成五年一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  甲事件原告(同事件反訴被告)のその余の請求をいずれも棄却する。

三  甲事件反訴原告(甲事件被告)の請求を棄却する。

四  乙事件原告の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、甲事件、同事件反訴及び乙事件を通じ、これを三分し、その二を甲事件被告(同事件反訴原告・乙事件原告)の負担とし、その余を甲事件原告(同事件反訴被告)の負担とする。

六  この判決は、甲事件原告(同事件反訴被告)勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  甲事件について

1  甲事件被告は、甲事件原告に対し、別紙記載の謝罪広告を、朝日、毎日及び読売の各新聞の全国版に各一回ずつ掲載せよ。

2  甲事件被告は、甲事件原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する平成五年一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  甲事件反訴について

甲事件反訴被告は、甲事件反訴原告に対し、金七〇〇万円及びこれに対する平成五年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  乙事件について

乙事件被告は、乙事件原告に対し、金七〇〇万円及びこれに対する平成五年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

甲事件において、甲事件原告(同事件反訴被告)甲野太郎(以下「原告甲野」という。)は、甲事件被告(同事件反訴原告)・乙事件原告乙山二郎(以下「被告乙山」という。)が原告甲野の業務上横領事件での刑事訴追当時あるいは一審判決当時の報道を不正確に再現して刊行物に発表するなどして原告甲野の名誉を毀損したとして、不法行為に基づいて名誉回復及び損害賠償を請求した。甲事件反訴及び乙事件において、被告乙山は、原告甲野及び原告甲野訴訟代理人弁護士兼乙事件被告(以下「被告五十嵐」という。)が、謝罪広告の掲載を強要するなどして被告乙山の名誉を毀損し、また、不当な甲事件を提起して被告乙山に損害を与えたとして、原告甲野及び被告五十嵐に対し、不法行為に基づいて損害賠償を請求した。

一  争いのない事実等(特記しない限り当事者間に争いがない。)

1  原告甲野は、元国際電信電話株式会社代表取締役であった者であり、被告乙山は、日本大学教授であり、同大学で刑法を講じている。被告五十嵐は、東京弁護士会所属の弁護士である。

2(一)  株式会社小学館発行の雑誌「SAPIO」(以下「SAPIO誌」という。)平成四年七月九日号の「飲食費の“公私混同”は管理職なら横領、ヒラなら窃盗」「知っておくべき法律知識」「日本大学教授乙山二郎」と題する記事中において、「これもひいては仕事に繋がったり、額が常識の範囲内ならば誰も文句は言わないが、多額になり公私混同も激しくなると摘発される。その典型が79年に発覚し、業務上横領罪で東京地検に逮捕されたKDDの甲野太郎社長のケースだ。これは3年間で58億円にものぼる巨額の交際費が発覚。家族のショッピングにまで会社のハイヤーを使ったり、ひいては自分の下着まで会社の交際費で落としていた。このように会社の経費を自分のために使ったり、不正で会社に大きな損失を与えたりすると業務上横領、特別背任罪に問われる。」との記事(以下「SAPIOの記事」という。)が掲載された(甲一)。

(二)  被告乙山は、株式会社中央公論社が昭和六一年二月二五日に発行した「賄賂の話」(中公新書)中において、左記の各文章(以下「中公新書の文章」という。)を掲載した(甲二)。

(1) 「賄賂の話」二六頁(「KDD事件」という小見出しで始まる箇所)(以下「中公新書の文章(1)」という。)

「昭和五〇年七月から三年半で約五八億円の交際費を乱費していたといわれた国際電信電話会社(KDD)の社長甲野太郎は、役員交際費を私的に流用したとして、一七九〇万円余の業務上横領罪で起訴された(本件ともいうべき政治家への贈賄は不発に終り、社長の個人犯罪に矮小化された)が、昭和六〇年四月二六日、東京地裁でほぼ半額について有罪となり、懲役一年六月、執行猶予三年を言い渡された。」

(2) 同書二七頁((1)に続く箇所)(以下「中公新書の文章(2)」という。)

「KDDでは、社長その他の役員の訪問客に対し、外国人・日本人を問わず、身の回りの品などを部外贈答品(社用贈答費)として贈ることが慣習化していた。そこで甲野元社長は、ネグリジェ、ハンドバッグ、紳士靴、時計のバンド、牛肉、洋酒、冷蔵庫と手当り次第、会社業務と全く関係のないレシートを会社に持ち込んで現金化したり、会社のハイヤーを妻の買物などにも自由に使わせ、一流レストランから社費で昼食を自宅に運ばせたり、妻との海外旅行の仕度金、家族とのゴルフ代まで会社に負担させるといったように、公私混同のかぎりをつくした。」

(3) 同書同頁((2)に続く箇所)(以下「中公新書の文章(3)」という。)

「甲野被告が郵政官僚時代の同僚の子息の結婚祝におくった一万八〇〇〇円の保温がまとか、前任社長夫人の病気見舞の薬品代とか、子息の卒業の内祝として副社長に贈った洋陶器といったものは無罪になったりするなど、法廷に提出された買物のレシート五七八枚のうち、なんと五一四枚が無罪になった。また米国や韓国、ヨーロッパなどに妻を同行した際の仕度金も、『会社と無関係と断言できない』といったことで無罪になり、学生時代の先生や同級生、郷里の友人、病気で世話になった医者や看護婦、娘や息子の縁談を持って来てくれた人、子供たちの大学の先生などに贈った分や、夫人肌着やバーゲンセールで買った靴、牛肉、佃煮、折り詰め、洋酒などの私的用品、自宅に持ち帰った美術品などが有罪となった。」

(4) 同書二八頁((3)に続く箇所)(以下「中公新書の文章(4)」という。)

「それでも甲野被告は控訴した。『会社創立以来の社長の交際費の使い方をしたまでで、この有罪が前例となれば、日本の企業活動を阻害される』というのだ。まさに昭和社用族の論理で、元禄社用族、文左衛門もうらやむであろう。」

(5) 同書一一三頁(「KDD事件ほか」という小見出しで始まる箇所)(以下「中公新書の文章(5)」という。)

「KDD社長甲野被告も社長交際費の私的流用(業務上横領)という社長の個人犯罪に問われたが、政治家への贈賄罪には問われなかった。」

3  (謝罪広告の掲載)

(一) 原告甲野は、被告五十嵐を代理人として、平成四年九月一六日、被告乙山に対し、SAPIO誌の記事の記述を「公然事実を摘示して、通知人の名誉を毀損するもの」としてSAPIO誌上及び日本経済新聞紙上への謝罪広告の掲載ならびに慰謝料五〇〇万円の支払を求める平成四年九月一六日付内容証明郵便を発し、右郵便は同月一七日到達した(甲六の一、二)。

(二) 小学館及び被告乙山は、SAPIO誌平成四年一〇月二二日号に、SAPIO誌の記事中に事実に反する記述があったとして右記事を削除して、お詫びする旨の「訂正とお詫び」の広告を掲載した(甲二六)。

4  (賄賂の話の出庫停止等)

(一) 原告甲野は、被告五十嵐を代理人として、平成五年一月一二日、被告乙山に対し、中公新書の文章についてSAPIOの記事と併せて朝日、毎日、読売の各新聞全国版への謝罪広告掲載と慰謝料六〇〇万円の支払を求め平成五年一月一一日付通知書を発し、右郵便は同月一三日到達した(甲七の一、二)。

(二) 被告乙山は、平成五年一月一九日、原告甲野及び被告五十嵐あてに内容証明郵便を送り、「賄賂の話」について「拙著の記述を改めたいと思っております」と伝え(甲一四)、さらに、同年二月八日、原告甲野及び被告五十嵐あてに内容証明郵便を送り、中央公論社と協議の上、「一、在庫品は出庫を停止しできるだけ回収する、一、増刷はしない」という措置をとった旨を伝えた(甲一七)。

5  (告訴、記者会見)

原告甲野は、被告五十嵐を代理人として、平成五年二月二四日、甲事件提起に及び、同日、名誉毀損の告訴状を東京地検に提出し(乙二〇)、東京地方裁判所内司法記者クラブで、訴状、告訴状を不特定のマスコミ関係者に配布し、記者会見をした。

右甲事件訴状には、「刑事法学者として当然に承知しているはずである『無罪推定』、大学において刑法を講じている身として当然に承知しているはずである刑法名誉毀損罪の構成要件をも無視して、否、一般市民として他人の名誉を不必要に傷つけてはならないという良識を忘れて、被疑者、被告人と呼ばれる人々を、みずからが断罪することが許される地位にあると誤信するに至っているのではないか。そう考えなければ、本件のような不必要な、刑法抵触行為を二回(他にあるかは、今のところ不明)にもわたって繰り返すことの説明がつかない。」との記載がある。

また、右告訴状は、SAPIOの記事及び中公新書の文章について、被告乙山が名誉毀損罪を犯したものとして、東京地方検察庁に告訴するという内容のものである。

二  争点

1  本件各記事等は原告甲野の名誉を毀損するものか。

2  被告乙山はSAPIOの記事を執筆したか。

3  本件各記事等において摘示された各事実は真実か。

4  原告甲野の損害等

5  原告甲野らは被告乙山に対し虚偽の事実を言って謝罪等をさせたのか。

6  甲事件訴状記載の事実記載等が名誉毀損に当たるか。

7  甲事件の提起は不当訴訟に当たるか。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件各記事等による名誉毀損の有無)について

1  本件はいずれも原告甲野の業務上横領被告事件に関する記述について、名誉毀損の成立を主張するものであるところ、右記述が特定人の名誉を毀損するか否かについては、一般読者を基準にして、その人が社会から受ける客観的評価を低下させる事実の摘示といえるか否かによって判断されるべきである。

2  (SAPIOの記事)

SAPIOの記事中、「これは3年間で58億円もの巨額の交際費が発覚。」という部分については、交際費を使用した主体が明示されていないものの、「…KDDの甲野太郎社長のケースだ。」という部分と「家族のショッピングにまで会社のハイヤーを使ったり、ひいては自分の下着まで会社の交際費で落としていた。」という部分の間にあること等からすると、右部分は、右記事を読んだ一般読者において、交際費を利用した主体が原告甲野であるとの印象を抱かせるものというべく、そうすると、右部分を含む記事全体が、原告甲野の社会的評価を低下させる事実の摘示であることは明らかである。

3  (中公新書の文章)

中公新書の文章(1)中、「昭和五〇年七月から三年半で約五八億円の交際費を乱費していたといわれた」という部分については、交際費を使用した主体が「国際電信電話会社(KDD)」か「社長甲野太郎」かが文脈上不明確であって、いずれにも読み取れるものの、一般読者において、交際費を乱費した主体が原告甲野であるとの印象を抱く可能性が相当程度存在するというべく、そうすると、右部分を含む文章全体が、原告甲野の社会的評価を低下させる事実の摘示であることは明らかである。

また、中公新書の文章(4)は、論評を含み、特に原告甲野の社会的評価を低下させるものとは言えないが、同文章(2)、(3)及び(5)の部分は原告甲野の社会的評価を低下させる事実の摘示であることは明らかである。

二  争点2(被告乙山はSAPIOの記事を執筆したか)について

1  SAPIOの記事の成立経過については、証拠(証人秦野篤行、同楠田武治、被告乙山本人)によると、平成四年六月八日、フリーライターの田村建雄と坂本孝一は、日本大学法学部研究室を訪れて、被告乙山に右記事のインタビューを行い、田村において、同月一一日、原稿を作成し、同月一二日、これを被告乙山の自宅の方にファックスで送ったこと、SAPIOの編集担当である楠田武治は被告乙山に対し電話をして右原稿に関して不明な点について確認し、再度同月一六日に手直しした原稿を杉本健次郎に日本大学の被告乙山のところに持って行かせたが、その際楠田が電話で被告乙山に確認していること、被告乙山に対し掲載されたものを送ったが被告乙山から何の異議も述べられていないことがそれぞれ認められる。また、前記のとおり、その後、SAPIOの記事について、「訂正とお詫び」の広告を掲載することを被告乙山が同意している。

2  以上の事実によれば、原稿を直接書いたのは田村であり、SAPIOの記事には、「取材・構成/田村建雄、撮影/坂本孝一、イラスト/上海公司」と記載されているが、被告乙山にも訂正等の機会が十分与えられており、かつ、その後SAPIOの記事について責任ある者として行動しており、したがって、SAPIOの記事は被告乙山が執筆したものと同等に評価することができる。

三  争点3(本件各記事等の真実性)について

1  民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意または過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である(最高裁昭和四一年六月二三日第一小法廷判決民集二〇巻五号一一一八頁)。そこで、以下この点について順次検討する。

2  本件各記事等の公益性及び公益目的性について

特定人の犯罪に関する事実については、その性質上、特段の事情がないかぎり、公共の利害に関する事実であると解するのが相当であるところ、本件各記事等はいずれも、原告甲野に関する業務上横領被告事件についての記述であるから、公共の利害に関する事実に係るものと認められる。また、本件各記事等の構成及び内容からすれば、本件各記事等は、交際費に絡んでサラリーマンが陥りやすい犯罪の例示(SAPIOの記事)ないし贈答文化とつながりを持つ多大な企業交際費の実態及び交際費の私的流用が業務上横領罪に問われた事例(中公新書の文章)として記述されたものであって、執筆態度において著しく真摯性を欠くとか私怨を晴らしたり私利私欲を追求する意図があったとは認められる事情も窺われないから、本件各記事等はもっぱら公益を図る目的に出たものと認められる。なお、ニュース報道として公表したのではなく、業務上横領罪の解説における例示として掲載したとしても、公益目的がないとは言えない。

3  本件各記事等の真実性について

(一) (SAPIOの記事)

(1) SAPIOの記事については、記事の文脈に照らせば、①原告甲野が「3年間で58億円にものぼる巨額の交際費」を使用した事実、②同人が「家族のショッピングにまで会社のハイヤーを使い、自分の下着まで会社の交際費で落としていた」事実及び右事実が「業務上横領罪」に問われた事実(右記事は「問われうる」といった文体ではなく、「問われる」と記述されている。)が、それぞれ真実性の証明の対象になると解すべきところ、右各事実については真実であると認めるに足りる証拠はない。

すなわち、①「3年間で58億円にものぼる巨額の交際費」を使用した事実については、乙二号証が存在するが、右は原告甲野個人が使用したというものではなく、KDDが約五八億円の交際費を乱費していたことについての資料にすぎない。また、②「家族のショッピングにまで会社のハイヤーを使った」事実については、第一審判決において有罪と認定されたが(乙二三・別表二の3、4)、控訴審判決において、会社の負担で役員が右行為をする慣行がなかったとは言い切れないとして無罪とされ(乙二四・三〇五〜三〇六頁)、上告審で確定しており(乙二五、二六)、「自分の下着まで会社の交際費で落としていた」事実については、そもそも公訴事実に含まれていない(原告甲野本人・第七回口頭弁論速記録二六頁。なお、婦人肌着については、第一審判決において有罪認定されたものがあるけれども(乙二三・別表一のレシート番号7、8、30、36)、これらについては控訴審判決において、右物品が業務上の贈答に通常用いられないとは言い切れないとして、無罪とされ(乙二四・三四二〜三四四頁)、上告審で確定している。)。

(2) SAPIOの記事については、被告乙山は、控訴審判決があったことを知らなかったというが、記述当時、すでにその約一年三か月前に控訴審判決が言渡されていた(乙二四)のであるから、被告乙山が刑法学者であり、しかも、同人が第一審判決に対し控訴がなされていることを知っていたこと(甲二)も考慮すると、右控訴審判決の有無を調査し、これを踏まえた上で取材に応じるべきであり、被告乙山において右記事の内容を真実であると信ずることに相当の理由があるとはいえない。

(二) (中公新書の文章)

(1) (中公新書の文章(1))

中公新書の文章(1)については、①原告甲野が三年半で約五八億円の交際費を使用していた事実(交際費を使用していたといわれた事実ではない。)、②同人が業務上横領罪で起訴された事実、③東京地裁で有罪判決を受けた事実が真実性の証明の対象になると解すべきところ、②③の事実については、乙二二及び二三号証によれば、真実であると認められるが、①の事実については、これを認めるに足りる証拠がない(乙二は、あくまでも、KDDが約五八億円の交際費を乱費していたことについての資料にすぎない。)。

(2) (中公新書の文章(2))

中公新書の文章(2)については、原告甲野が会社業務に関係のないレシートを会社に持ち込むなどした事実(すなわち、業務上横領罪に該当するような行為をした事実)が真実性の証明の対象になると解すべきところ、右事実等については真実であると認めるに足りる証拠はない。すなわち、右文章(2)において記載された事実は、第一審判決の別表(一)(二)に含まれるものであるところ、これらについては、控訴審判決で全て無罪とされ、上告審で確定している。

(3) (中公新書の文章(3))

中公新書の文章(3)については、第一審判決において右文章に記載されたような内容の判決がなされた事実が真実性の証明の対象になると解すべきところ、乙二二号証によれば、真実であると認められる。

(4) (中公新書の文書(5))

中公新書の文章(5)については、同文章(3)において第一審判決が紹介されていること及び「賄賂の話」発行当時第一審判決に対し控訴がされた段階であって控訴審判決はまだ言渡されていなかったこと(甲二、乙二三、二四)からすると、第一審判決において原告甲野が業務上横領罪に問われた事実及び贈賄罪には問われなかった事実が真実性の証明の対象になると解すべきところ、乙二三号証によれば、右各事実については真実であると認められる。

(5) 被告乙山は、中公新書の文章(1)ないし(5)については、第一審判決で認定された事実に沿って記述したと主張するが、右文章には第一審判決で認定された事実(控訴審判決前には第一審判決の内容を真実と信じたことは相当であるといえる。)を逸脱する部分(特に、右文章(1)の冒頭部分)があり、その部分を真実と信じたことには軽率のそしりを免れず、相当の理由があるとはいえない。また、起訴事実に対して第一審で有罪認定された事実はかなり減少しており、一部の有罪認定をもって、他の同様の公私混同行為があると信じたことは相当でない。したがって、被告乙山の右主張は採用できない。

なお、中公新書の文章については、被告乙山本人尋問の結果によれば、中央公論社から日本の社交儀礼との関わりを中心にした賄賂に関する執筆依頼を受けて書かれたものであり、執筆当時KDD事件あるいは原告甲野に関する新聞記事等を資料にして執筆されたことが認められるけれども、執筆当時すでに第一審判決がなされていること、被告人の実名を挙げて記述していること等に鑑みれば、右認定の事実をもって直ちに前記記述内容を真実と信じたことに相当の理由があったとはいえない。

四  争点4(原告甲野の損害等)について

原告甲野本人尋問の結果によれば、原告甲野は、SAPIOの記事及び中公新書の文章により、社会的評価を低下させられ精神的苦痛を被ったことが認められる。前記認定のとおりの右各記事等の内容及びその他諸般の事情、特に、甲二〇号証、原告甲野本人尋問の結果によれば、原告甲野がかつてKDDの社長として高い社会的地位を有していたところ、SAPIOの記事が発表された平成四年六月はもとより、中公新書の文章が発表された昭和六一年二月の時点でも、原告甲野は、業務上横領罪で有罪判決を受け、右事実は広く報道され、いわば公知の事実となっているばかりではなく、KDD事件が明るみになった昭和五四年にKDDの社長を退任し、社会的に半ば葬られたままの生活を余儀なくされ、その社会的評価は相当程度低下していたこと、判決において、交際費の私的使用については全て無罪とされ、会社所有物を横領した点だけが有罪とされたことで、その社会的評価は一定限度で回復したとみられること、SAPIOの記事については、すでにSAPIO誌において訂正謝罪がされていること(甲二六)、中公新書の文章については、さらに、第一審判決後、控訴審判決前に発行されたものであること、平成五年一月ころ在庫品の出庫停止と回収及び今後増刷しないことを約束したこと(甲一一、一七)等を総合考慮すると、SAPIOの記事掲載により原告甲野が受けた精神的苦痛を慰謝するには、一二〇万円が相当であり、また、中公新書の文章出版により原告甲野が受けた精神的苦痛を慰謝するには、三〇万円が相当である。したがって、本件各記事等により原告甲野が受けた精神的苦痛を慰謝するには、合計一五〇万円が相当である。

なお、原告甲野は、損害賠償の他、名誉回復処分としての謝罪広告を請求している(民法七二三条)が、社会的評価の低下の程度、金銭賠償について右のとおり認容していること、前記のとおり、すでにSAPIO誌において訂正謝罪がされていること、「賄賂の話」については平成五年一月ころ在庫品の出庫停止と回収及び今後増刷しないことを約束したこと等からすれば、謝罪広告の請求については、これを認めないのが相当である。

五  争点5(虚偽の事実を言って謝罪等をさせたのか)について

被告乙山は、原告甲野の代理人である被告五十嵐が、被告乙山に対し、交際費使用は既に第一審判決から存在しない虚偽の事実であること、控訴審判決における有罪認定は僅か六物品のみである等の虚偽の事実を告げられたので、誤信して謝罪等をさせられたと主張するが、右の告知は、控訴審判決の内容を前提にしたものであり(甲六の1、七の1、乙二四・三六五頁。なお、甲六号証の1では、「有罪認定は僅か六物品」とあり、七回合計二三点と分類する控訴審判決の認定との間で分類の方法において若干の食い違いがあるけれども、「ほとんどの公訴事実について無罪判決を得た」という重要部分においては右判決の内容と齟齬するものではない。)、ことさらに虚偽の事実を言って謝罪等をさせたというものではない。

六  争点6(甲事件訴状記載の事実記載等が名誉毀損に当たるか)について

被告乙山は、第二の二の5記載の甲事件訴状及び告訴状(乙一九、二〇)をマスコミ関係者に配布し記者会見をしたことが同人の名誉を毀損すると主張するが、この点については、右各記載は同人の不法行為を内容とするものであるから、一般人を基準にして、その人が社会から受ける客観的評価を低下させる事実を摘示したといえ、被告乙山の名誉を毀損するものである。

しかしながら、原告甲野の主張どおりSAPIOの記事の掲載及び中公新書の文章が被告乙山の名誉毀損による不法行為であると認められることは前記認定のとおりである。原告甲野の請求が一部棄却されているのは、その損害額の認定において原告甲野の主張が一部認められなかったにすぎず、名誉毀損に該当する不法行為が一部認められなかったものではない(中公新書の文章については、その名誉毀損に該当する記載内容は一部分であるが、右文章の執筆は全体で一個の行為というべきであり、一文毎あるいは一段落毎に一行為があると言いえないことは明らかである。)。

そうすると、右訴状及び告訴状に記載された内容については真実性の証明があったものということができ、弁護士活動の正当性や訴状、告訴状という書面の性質論を論じるまでもなく、原告甲野及び被告五十嵐の行為には違法性はない。

七  争点7(甲事件の提起は不当訴訟に当たるか)について

訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である(最高裁昭和六三年一月二六日第三小法廷判決民集四二巻一号一頁)ところ、前記認定のとおり、甲事件の提起は右の要件に照らして、不当なものでないことは明らかである。

八  よって、原告甲野の甲事件請求のうち、一五〇万円及びこれに対する本件各記事等の掲載日の後である平成五年一月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については理由があるので認容し、その余は理由がないのでいずれも棄却することとし、甲事件反訴、乙事件については、被告乙山の請求はいずれも理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤康 裁判官稲葉重子 裁判官山地修)

別紙〈省略〉

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